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【教師論】教師とは、一体何者なのか?

教育全般

みなさん、こんにちは。

のりそらです。

学校経営理念

私は、『教育に選択肢を、人生に革命を』を経営理念に、

学校教育目標

教育目標を『明日も行きたくなる学校』すなわちNEXTAGE SCHOOLとした次世代の学校の運営をしています。

ここでは、教育に関わるテーマを1つ挙げて、それについての考えを共有しつつ問題提起を行っています。

質問:『教師とは、一体何者だと思いますか?』

質問:『教師とは、一体何者だと思いますか?』

突然ですが、質問です。

『教師とは、一体何者だと思いますか?』

この質問に対する答えは、おそらく答える人の数だけあるように思います。

世の中では、これまで”教師”というものの存在について、3つ立場で議論がなされています。

その3つについて今回はご紹介し、それぞれの”教師論”に厚みを持たせていただくとともに、これからの教師像を考える上での参考にしていただけたらと思います。

【教師論】その1:教師聖職者論

質問:『教師とは、一体何者だと思いますか?』

まず1つ目は、『教師聖職者論』です。

この『教師聖職者論』は、教師を、宗教家になぞらえて、「聖職者」と理解する立場です。

「聖職者」とは、もともと宗教に人生を捧げる人々を呼ぶときに使用される言葉です。

神の威光を背景に、迷える人々を教え導く役割を果たすべき人々を指します。

その職務は神から与えられたものですから、報酬を期待して引き受けるものではありません。

現世的な報酬が少なかろうと、やりがいのある崇高な使命を果たすこと自体が喜びとなるわけです。

この「聖職者」という言葉が教師という仕事にも相応しいものだと考える人々が一定程度存在します。

教育という崇高な使命に人生を捧げ、ひたすら献身的に職務を遂行する教師のことを、人は「聖職者」と呼び、尊敬します。

そしてその役割は「神」から与えられたものですから、高い給料を期待してはなりません。

薄給に耐えて、やりがいのある崇高な使命を果たすこと自体が喜びとなるわけです。

教科書的には、この「教師聖職者論」のスタート地点を初代文部大臣・森有礼の師範教育に求める傾向が強くあります。

実際、森有礼は教師に必須の資質として「順良・信愛・威重」の3気質を挙げ、師範学校における教員育成の基礎としました。

そして薄給であったり、社会的なステータスが低かったとしても、誇りと使命感を持って崇高な職務を遂行すべきことを説いています。

【教師論】その2:教師労働者論

【教師論】その2:教師労働者論

続いて2つ目は、『教師労働者論』です。

教師を、民間企業に勤めるサラリーマンと同じく、「労働者」と理解する立場です。

民間企業に雇用されて、自発的合意に従って交わした契約に従い、定められた仕事を行なうと、所定の報酬(サラリー)が支払われます。

それと同じように、教師も定められた仕事を行なって報酬を受け取る「労働者」であると考える立場です。

教師聖職者論が人間的な生活を犠牲にするような薄給での奉仕を要求したのに対し、教師労働者論はまともな対価を要求します


さらに、労働者であれば憲法で保障された労働基本権に基づいて労働環境を改善するための行動(団体交渉や同盟罷業)を起こせますので、教師も自らの労働環境を改善するために同じような行動がとれるし、とるべきだと考えます。

たとえば具体的には、「残業」をどう考えるかというときに、この立場をとるかとらないかで、意見の違いが明確に表れます。


具体的には、民間企業で「残業」を行なうと、法律に従って残業代が支払われます。残業代を支払わない会社は法律違反を犯していることになります。

しかし一方、教師が残業を行なっても、残業代は支払われません

現時点では、教師は民間企業のような「労働者」とは考えられていないからです。

教師労働者論の立場から見れば、とんでもないことです。

教師労働者論に共感する人々は、教師の残業に対して、民間企業と同じく残業代を支払うべきだと主張するでしょう。


しかし教師労働者論に反対し、教師聖職者論に共感する立場からすれば、教師は人生をかけて教育に奉仕すべきものであって、そもそも「残業」という考え方自体がおかしいと一蹴するでしょう。

しかし一方で、もし教師が単なる労働者なら、アルバイトにやらせてもいいだろうという話が出てきてもおかしくありません。

実際に、現在は非常勤講師や臨時採用のような、正規採用ではない教員が急速に増加しています。


また、教育に熱意や情熱を感じずに、単に金儲けの手段として考えるような「デモシカ教員」が正当化されてしまうことも懸念されます。(「デモシカ教員」とは、仕方ないから先生に<でも>なるかとか、まともな仕事はできないから先生に<しか>なれない、という、社会人失格な残念教師を揶揄する言葉です)。

熱意も使命感もないくせに単に金のために教員をやっていいのかと聞かれると、躊躇する人が多いだろうことも確かです。


また、教育を受ける側の子どもや保護者の意識を想像してみると、目の前の先生を聖職者だと思えれば尊敬して言うことを聞くかもしれませんが、これが単なる労働者相手となれば、コンビニ店員に文句を言うような感覚で教師に文句を言い始めることになるかもしれません。

コンビニ店員のようなサービス産業労働者であればお客様の言うことは「はいはい」と聞くのが仕事ですが、教師は同じようにサービス産業労働者となって子どもや保護者の言うことを「はいはい」と聞いてしまって大丈夫でしょうか。

【教師論】その3:教師専門職論

【教師論】その3:教師専門職論

最後の3つ目は、『教師専門職論』です。

教師を、医師や弁護士などと同じく、専門的な知識や技術を持つ専門家として理解する立場です。

この立場では、医者や弁護士が特別なスキルに見合った高額な報酬を得ているのであれば、教師も同じようにスキルに見合った報酬を得ても問題ないと考えるかもしれません。

あるいは、高額な報酬を得る方向ではなく、教師という専門家にしか果たせない社会的役割を重視する議論に結びつくかもしれません。

そういう意味では、(1)や(2)の立場の代わりというよりは、その両方と結びつくことができるものとも考えられそうです。

ところでこの立場の急所は、「教師にとっての専門性とは何か?」という問題にあります。

「教職の専門性」を説得的に明示できなければ、この立場に説得力はありません。

誰でもできる仕事ということになってしまうと、教師専門職論は成立しません。

あるいは、この専門性を具体的にどう理解するかで、(1)や(2)の立場と結びつくか相反するかが決まってくるでしょう。


ここは非常に重要かつ複雑な論点となりますので、教師の専門性については機会を改めることとします。

あらためて:『教師とは、一体何者だと思いますか?』

あらためて:『教師とは、一体何者だと思いますか?』

3つの立場についての理解が進んだところで、あらためて問います。

『教師とは、一体何者だと思いますか?』

私見ですが、現代は、この”教師の立場”が極めてあいまいになっていて、それゆえさまざまな弊害が生じているような気がしてなりません。

もしも、この議論のうち、いずれか1つに教師を位置付けることができたら、以後の議論は簡単かつ至ってシンプルです。

その立場に対して、進もうとしている道が正しいか、そうでないか?

これを考えればいいだけです。

判断基準となる最上位目標ができるわけです。

しかし、これがごちゃごちゃになって議論されています。

そのため、教師によって答えが違ってしまうのです。

教育の根幹に関わるような意外過ぎるほど意外なところで議論が噛み合わない同僚が存在してくるようになってしまうのです。

というか、現実そうなってしまっているのです。

例えば、”働き方”についての考えなんかは良い例だと思います。

提案:教師論をはっきりさせませんか?

提案:教師論をはっきりさせませんか?

そこで、提案です。

”教師論”に決着をつけませんか?

そうでないと、皆が同じ土俵で議論ができないと思うんです。

皆が納得して仕事に取り組めないと思うんです。

そんな状況から生まれるものはたかが知れています。

何もこの3つのうちの1つを選びましょうでなくても良いと思います。

第4の教育論が誕生し、それが支持されても良いと思います。

いずれにせよ、これをはっきりさせることで以後不毛な議論は生まれないはずだと思うのです。

例①:教員免許更新制について

Driver'S License, Driving School, Driving Licence

例えば、『教員免許更新制』について考えてみましょう。

私の肌感覚では、ほとんどの教員がこの制度については、”不要”と考えていると思います。

そもそもなぜ、このような制度が誕生するのでしょうか?

もし、”①教師聖職論”で物事を考えていたらこのようなことにはならないはずだと思うのです。

聖職者は、教育という崇高な使命に人生を捧げ、ひたすら献身的に職務を遂行する教師だからです。

この前提に立てば、制度で教師をしばる必要はありません。

よって、教員免許更新制は不要です。

例②:働き方改革

例②:働き方改革

では、『働き方改革』についてはいかがでしょうか?

”①教師聖職論”に照らして考えると、『働き方改革』などという議論自体が存在しません。

なぜなら、”①教師聖職論”における教師とは、

現世的な報酬が少なかろうと、やりがいのある崇高な使命を果たすこと自体が喜びとできるのが教師。

教育という崇高な使命に人生を捧げ、ひたすら献身的に職務を遂行する教師

だからです。

まとめ

【教師論】教師とは、一体何者なのか?

今回は、『【教師論】教師とは、一体何者なのか?』という内容でした。

『教員免許更新制』と『働き方改革』この2つをとっただけでも矛盾があることをお分かりいただけたでしょうか?

誤解を恐れずに言えば、私の立場は”①教師聖職者論”です。

金八先生に憧れました。

自分のこと以上に子どもたちのために奮闘する。

その末に、結果的に、子どもたちからの大きな信頼を得て、それこそが財産であり、何者にも変えがたいものである。

そんな考えです。

そんな価値観が以前はもっともっと広く浸透していたように感じます。

現在私は40歳ですが、この価値観は教員という職業に魅了された私だけが特別持っていたものではないように思います。

事実、今でも教職とは無縁の他業種で働く幼なじみの仲間たちの教師論は”①教師聖職論”だと感じます。

よって、まだギリギリ”①教師聖職論”挽回の余地はあると信じています。

ですが、考えてみれば熱血教師の姿がテレビドラマとして扱われなくなっている昨今、時代が”①教師聖職論”的なものを許さないのかもしれません。

それでも、私は、”先生のおかげで”そんな言葉を頼りに自分の尻を叩いています。

それさえあれば頑張れるのですが、それが無くなりかけている現代では、頑張りがいを見失いそうです。

たとえ、労働時間が長くなったとしても、相応の信頼を得ることができるのであれば、がんばれます。

そうでなければ、ただただ長時間労働はしんどいだけです。

みなさんは、どんな状況の中で働きたいですか?

今って、ごちゃごちゃしてますよね?

今回のような議論自体が受け入れられなくなっているご時世かもしれませんが、あえて話題にしてみました。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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