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【教えて、のりそら先生】”教師と妥協” あきらめたくない理想

教育全般

みなさん、こんにちは。

のりそらです。

学校経営理念

私は、『教育に選択肢を、人生に革命を』を経営理念に、

学校教育目標

教育目標を『明日も行きたくなる学校』すなわちNEXTAGE SCHOOLとした次世代の学校の運営をしています。

ここでは、教育に関わるテーマを1つ挙げて、それについての考えを共有しつつ問題提起を行っています。

さて、今回は、教師を辞めてまでしたい”理想の教育”についてお話させていただきます。

本日の内容:【教えて、のりそら先生】”教師と妥協” あきらめたくない理想

本日の内容:【教えて、のりそら先生】教師を辞めてまでしたい”理想の教育”って?

題して「【教えて、のりそら先生】”教師と妥協” あきらめたくない理想」といった内容でお届けします。

教師の離職率は、約0.6%と非常に少ないということを前回の最後にお話させていただきました。

そう、教師は一度教師になったらなかなか辞めない。

辞められないという側面もあるかもしれませんね。

それは、そうです。

子どもたちの教育を行う上で、一番子どもたちとの接点がある立場は、学校の教師です。

ですから、志を持って教職にあたられている方は、本当に素敵な生き方をしていると、そう心から思います。

大切なのは、”志を持って”という部分です。

今回のお話は、その”志”あたりが焦点になるかと思います。

今回は、個人的な志周りついてお話させていただきます。

今回このお話を聞くことで、世間では安泰と言われる公務員という職を手放した男の成し遂げたい志について理解することができます。

ご自身の知見を広げたいとお考えの向上心のある方々、葛藤しながら毎日を頑張っていらっしゃる方々、教育に関心のあるすべての方々に向けてお話をしていきます。

どうぞお付き合いください。

それでは、いってみましょう!!

結論:子どもたちが中心にある教育を行いたい

結論:子どもたちが中心にある教育を行いたい

教師を辞めてまで行いたい”理想の教育”は、”子どもたちが中心にある教育を行いたい”というものです。

これはかなり広いとらえでお話させていただいており、その中身には”子どもたちの選択肢を増やしたい””学ぶことは、楽しいことであるということを伝えたい”などがあります。

”子どもたちの選択肢を増やしたい”

”学ぶことは、楽しいことであるということを伝えたい”

この想いにも、子どもたちが中心にあります。

そこで疑問としてあがるであろうことは、いわゆる”学校の先生”という立場ではダメだったのか?というものです。

続いては、そのあたりについてお話させていただきます。

”学校の先生”ではダメではないけれど、最短距離で

”学校の先生”ではダメではないけれど、最短距離で

いわゆる”学校の先生”という立場ではダメだったのか?に対する答えは、

ダメではないけれど、最短距離を目指したい”というものです。

学校の先生という立場でも、自らが思い描く教育ができないのか?と言ったら必ずしもできないという訳ではありません。

事実として少なくとも自分が”学校の先生”であった18年間はそのようにやってきたという自負もあります。

しかし、正直な話をすれば、”妥協”もしてきたと思います。

くれぐれもご理解いただきたいのは、”手を抜いてきた”とは違います。

私の性分を知ってくださっている方はご理解いただけていると願います。

”妥協”は、目的までの道のりを長くします。

”学校の先生”としての妥協

では、その”妥協”の中身についてです。

思いつくままに”妥協”を分類してみると、

①足並みを揃える

②他の子どもたちに対する影響

③構造上の問題

に分けられます。

1つ1つ説明していきます。

”学校の先生”としての妥協①足並みを揃える

”学校の先生”としての妥協①足並みを揃える

”学校の先生”としての妥協として、まず考えることは、”足並みを揃える”という点です。

複数の先生がおり、複数のクラスがあり、複数の子どもたちがいる。

そんな学校という場で、結構大きな割合で意識されることとして、”足並みを揃える”があります。

自分の色をもつことに歯止めをかける要因です。

もちろん、”足並みを揃えること”の大切さもわかっています。

学校が一枚岩になって教育にあたることの大切さは言うまでもありません。

問題は、なぜ”足並みを揃える”のか?という部分にあります。

その理由が子どもたち本意ではない部分があることに対する疑問を強く感じました。

学校は本来、多様な個性が集まる場です。

ところが、”足並みを揃える”を必要以上に意識することで、教師の個性も子どもたち一人ひとりの個性も画一的であるように動いてしまっているのではないか?そんな風に考えます。

子どもたちの個性を大切にするには、先生方も多様性がなければなりません。

先生方が多様な方が、多様な子どもたちの個性に対応できます。

でも、画一的に動くその理由は、教師の誰もみな同質の教育が行えるようにとのもの。

その必要性はそんなに高いのでしょうか?

そもそもそう考えるのは、先生同士が協力的な関係によって集団を成り立たせようという気持ちの弱さの現れではないかと思うのです。

もっと役割分担をすれば良いと思います。

先生方それぞれの輝ける部分を大いに発揮していただき、その先生のその輝きが必要な時に『お願いします』と頼れば良いと思います。

得意な側面を平均値に下げ、苦手な面を平均値に近づける努力をするばかりでなく、先生方の個性を存分に生かした方が子どもたちのためになると思うのです。

足を引っ張るような”足並みを揃える”ではなく、子どもたち本位の視点をもっともつべきではないか?と、そんな風に思うのです。

”学校の先生”としての妥協②他の子ども達に対する影響

”学校の先生”としての妥協②他の子供達に対する影響

続いて、”学校の先生”としての妥協として、考えることは、”他の子どもたちに対する影響”という点です。

これは本当に常に教師の頭にあります。

現在の学校という場においては、その必要性も十分に理解できます。

でも、もっと柔軟であれたら、もっと子どもたちの個性に本気で寄り添えるのに・・という想いもあります。

すでに学校という場に平等に、均一にという文化が根付きすぎているのでしょう。

よって子どもたちも、その価値観で物事を考えがちです。

しかし、必要な手やその手が必要なタイミングは子どもたちによってまちまちというのが現実です。

今はこの子に寄り添うべき時とか、集団としての規律以上にその子の気持ちを大切にするべき時というのがあるように思います。

この子にとってはAの方が良いけど、全体のことを考えるとBという方法かな、という妥協が日常的にあるように思います。

その子に必要なのはAという方法なのに・・。

そのような考えでいくと、当たり障りないそれなりの関わりしか一人ひとりとはできないということになります。

でも、実際に子どもの心が動くのは、自分のために多少無茶をしてくれた時です。

子どもとの信頼関係を築いたり、また葛藤に寄り添ったりする時というのは、たいていはこうした時です。

必要としている時に必要とされているだけの時間も労力も個に向ける時があってもいいと思うのです。

そんな時にチームワークが必要になります。

チームワークがあれば、もっと個に寄り添えると思うのです。

”学校の先生”としての妥協③構造上の問題

”学校の先生”としての妥協③構造上の問題

最後です。

”学校の先生”としての妥協として、考えることは、”構造上の問題”という点です。

日本において教育はほぼ公教育の一択です。

すべての”妥協”はここから生まれます。

どこでも等しく、教育を受ける機会が子どもたちに与えられているという日本の状態は、国家レベルで考えると、非常に恵まれているという側面があります。

それは、昔も今も変わりません。

考えたいのは、そのあり方です。

戦後からずっと行われてきたおおよそ現在の形態の学校制度に、選択肢として新たなものがあまり広がっていないということについてです。

日本は、まだまだ豊かで文化が進んだ国です。

学校教育、そして先人たちの努力の賜物です。

そういう状態の整った今、求められているものは何でしょう?

これから求められるであろうものは何でしょう?

その1つに多様性があると思います。

社会が多様性をもつためには、社会をつくる人を育てる教育も多様性がともなわなければならないことは必須です。

現在の公教育のような学びがあってもいい。

一方で、公教育とは少し毛色の違う教育の場があってもいい。

それを子どもたちが保護者とともに選択できる。

これが多様性ではないでしょうか?

学校現場の大きな課題は、学校が何でも抱え込んでいるという点、それゆえ学校の仕事の総量があまりにも多すぎるというものです。

それゆえ、学校が柔軟な態度を取ることが難しくなっています。

画一的であることでしか、実態を保てなくなってしまっていると思うのです。

もっと社会に投げていいと思います。

もっと民間に投げていいと思います。

みんなで、社会で力を合わせて子どもたちの成長を支えていく。

そういう世の中になった方が、子どもたちのためになると思うのです。

まとめ

さて、今回は、「【教えて、のりそら先生】”教師と妥協” あきらめたくない理想」というお話をさせていただきました。

子どもたちが中心にある教育を行いたい”そういった理由で教員の世界を飛び出しました。

私は今でも学校教育も好きです。

中から教育を変えるではなく、外に飛び出して、外側から役に立てることも含めて見つめ直すことも必要だと感じました。

あえて”妥協”という言葉を使ってきましたが、”妥協”したり、愚痴を言ったりしているよりも行動することに価値があると考えます。

自分の想いがどれだけ世間の皆様に受け入れていただけるかは未知数ですが、挑み続けたいと思います。

私のりそら、日本の、世界の学校の未来がより良いものとなるようこれからも発信していきます。

加えて、これまでのように先生方の日頃の頑張りを世の中に伝えていきたいと思います。

先生方は、どうか日本の子どもたちのために、目の前の子どもたちのために、真っ直ぐにエネルギーをお使いください。

私のできることはさせていただきます!!

のりそらからは以上です!!

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