みなさん、こんにちは。
のりそらです。

私は、『教育に選択肢を、人生に革命を』を経営理念に、

教育目標を『明日も行きたくなる学校』すなわちNEXTAGE SCHOOLとした次世代の学校の運営をしています。
ここでは、教育に関わるテーマを1つ挙げて、それについての考えを共有しつつ問題提起を行っています。
さて、今回は、どのようにして現在の選択、つまり教員を辞めるに行き着いたのかについてお話させていただきます。
本日の内容:【教えて、のりそら先生】教師を続ける?辞める?”人生の選択”

題して「【教えて、のりそら先生】教師を続ける?辞める?”人生の選択”」といった内容でお届けします。
ご存じの方も多いかもしれませんが、私は18年間務めてきた教師を辞めました。
そこに至るまでには、正直な話、紆余曲折がありました。
今回は、そんな紆余曲折についてお話させていただきます。
今回このお話を聞くことで、世間では安泰と言われる公務員という職を手放した男の理由について理解することができます。
ご自身の知見を広げたいとお考えの向上心のある方々、葛藤しながら毎日を頑張っていらっしゃる方々、教育に関心のあるすべての方々に向けてお話をしていきます。
どうぞお付き合いください。
それでは、いってみましょう!!
紆余曲折

goo辞書先生によりますと、
『紆余曲折』とは、
”道や川などが曲がりくねること。また、種々込み入っていて複雑なこと。事情が込み入っていて解決に手間どること。”
とあります。
教員を辞めるか否かを決めるにあたり、言葉の通り”事情が込み入っていて解決に手間どること”がたくさんありました。
これから思いつくままに書き連ねていきます。
紆余曲折①家族を養う、生計を立てる

まず最初にして最大の紆余曲折要因は、”家族を養う、生計を立てる”ということ。
これは絶対に外せない内容ですよね。
本当にこれは最大の壁と言えるでしょう。
この壁に対して、どう向き合ったのか?
それは・・答えがない、というものでした。
いや、一つの答えはすでに出ていると言えるかもしれません。
その一つの答えとは、公務員である教員を続ければ、家族を養うこと、生計を立てることはできるということです。
令和の現在にあっても、公務員はまだ終身雇用、年功序列が残っています。
自分が何かをやらかしさえしなければ、クビになることもない。
よって、”家族を養う、生計を立てる”には、教師を続ける方が安定しているということです。
でも、これは皆が皆わかることですよね。
ただ、もう一方の教師を辞めるとなると、現在の状況では答えがわからないのです。
お金のことだけを考えると、教師を続けたほうが良い。
そうなります。
でも、お金以外のことも当然考えているから紆余曲折しているわけです。
そこで、次です。
紆余曲折②教師という仕事へのとらえ

続いての紆余曲折は、”教師という仕事へのとらえ”です。
私は、小学校の時に出会った素敵な先生に憧れて教師を志しました。
その先生の背中をずっと追いかけてきたと言っても過言ではありません。
自分が憧れた教師像は、子どもたちとどこまでも泥臭く関わる先生でした。
よって、その理想を追い求め、職務にあたりました。
教師の魅力は、日々大変なんだけれど、頑張れば子どもたちの成長が見られり、子どもたちから感謝してもらえたりすることです。
そういったものを得るために必死に働いてきました。
この上ない、教師冥利に尽きるような経験をたくさんさせてもらいました。
一方で、経験を重ねるにつれ、自分の中に葛藤を抱えるようになりました。
時代がいわゆる私が憧れたような熱血先生には厳しいものとなっていくのを日々実感していったのです。
子どもとの間に一定の線を引くこと、子どもとの直接の関わりとは違う面での仕事の増加など、時を重ねれば重ねるほど、そういった私にとっての後ろ向きな波が大きくなっていくのを感じるようになりました。
それでも、自分は理想を追求することをやめませんでした。
理想を追求することをやめたら、教師になった意味がないからです。
そのため、
①自分の理想
②やらなければならない多くの仕事
どちらもこなしていかねばなりません。
どちらもしっかりとこなす教師としての自分の姿勢を高く評価してくださる方々も正直多くいらっしゃいました。
嬉しかったし、このまま頑張り続けるぞ!という強い気持ちをもって教職にあたりました。
ところが、次です。
紆余曲折③体調を崩す

そのように仕事をしていると、突然、本当に突然、体調を崩しました。
自分が思うように行動できない・・。
そんな日が続き、休職→病休をいただくことになりました。
病気になって最初のうちは、振り切れたスイッチを元に戻せないような感じで、相変わらず仕事のことばかり考えていました。
次第に落ち着いてきて、静養の時間が流れます。
そんな中で考えました。
このままの働き方をしていたら、いつかまた同じようになってしまう・・と。
では、どうするかと考えます。
次です。
紆余曲折④働き方を変える?

働き方をあらためなければ、体がもたない・・。
そう考えた自分に用意した選択肢は2つです。
理想を下げて教師を続けるか?
それとも
理想を追うために教師を退くか?
この2択です。
この時の私にとっては、どちらも茨の道でした。
でも、正直に言うと、自分の中では答えはハッキリしているのです。
そう、理想を追いたいという方です。
それには、前述のように、次のビジョンがなければ、そうすることができません。
そこで、次です。
紆余曲折⑤理想の追い方を考える

どこまでいっても私は子どもたちの成長を支える教師という仕事が好きです。
そんな私が自分に用意した選択肢は、またしても教師の一択です。
しかも、理想を追求すると決めた後の一択は、自分で一から学校を創るという考えの一択でした。
そこからは、自分の理想の教育とは一体何なのか?
それを具現化するにはどうしたらいいか?
そういったことをひたすらに考えました。
そして、少しずつ形にしていきました。
その過程では、特に海外の事例から多くの刺激を受けました。
日本ではまだ認知されていないオルタナティブスクール、この形であれば自分の理想を追究して、これまで以上に子どもたちの成長を後押しできる。
そう確信しました。
自分で学校を創るということは、経営もしていかねばなりません。
どのようにして、またどんな形で私の頭の中にある理想の価値を伝えていくか。
これについては、本当に猛勉強です。
そして、今も猛勉強中です。
でも、きっとできるはず!そう心を強くしました。
紆余曲折⑥再び”家族を養う、生計を立てる”

自分の心が決まり、ある程度の事業プランができたところで、まずは妻に相談しました。
妻は、正直驚いたと思います。
でも、10年以上一緒にいる仲です。
私の性格はよく理解しています。
何も言わずに”ついていく”と言ってくれました。
そこからは、妻からの視点も入れながら二人で事業プランをさらに練っていきました。
そして、ある段階で娘たちにも親の考えを伝えました。
すると、
『すっごくいい!!応援する!!』
二人の娘が二人ともそう言ってくれました。
完全に自信がつきました。
子どもたちが自分の決断を歓迎してくれたことにより、完全に意を決しました。
紆余曲折⑦教師を辞めました

こうして私は、教師を辞めました。
同時に、
教師になりました。
自分で創った学校の教師になりました。
まとめ

さて、今回は、「【教えて、のりそら先生】教師を続ける?辞める?”人生の選択”」というお話をさせていただきました。
先日ツイッターの投稿にこのようなものがありました。
『教員の精神疾患は非常に多い。しかし、離職率は約0.6%ほど。日本全体の離職率はここ数年約15%なので、非常に低い。精神疾患は多いのに、辞める人は少ない。というより辞められない。まるで牢獄だ。』
事実と感想の両方が入った文言ですが、事実の部分に目をやると、とても健全とは言い難いと考えます。
これで言うと、私の場合はレアケースとなります。
レアケースだからこそ、心の内を伝えることにより、同じ悩みを抱える人のお役に立てることもあるかと考え、今回はこのような内容にさせていただきました。
どこかで、どなたかのお役に立てれば幸いです。
私のりそら、日本の、世界の学校の未来がより良いものとなるようこれからも発信していきます。
加えて、これまでのように先生方の日頃の頑張りを世の中に伝えていきたいと思います。
先生方は、どうか日本の子どもたちのために、目の前の子どもたちのために、真っ直ぐにエネルギーをお使いください。
私のできることはさせていただきます!!
のりそらからは以上です!!
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