みなさん、こんにちは。
のりそらです。
私は、『教育に選択肢を、人生に革命を』を経営理念に、
教育目標を『明日も行きたくなる学校』すなわちNEXTAGE SCHOOLとした次世代の学校の運営をしています。
ここでは、教育に関わるテーマを1つ挙げて、それについての考えを共有しつつ問題提起を行っています。
さて、今回は、2分の1成人式について考えたいと思います。
本日の内容:2倍成人式〜私の履歴書〜 2分の1成人式に思うこと
今回は、『2倍成人式〜私の履歴書〜 2分の1成人式に思うこと』というテーマでお話をしていきたいと思います。
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新成人のみなさん、おめでとうございます。
今年の新成人の方々は、コロナの影響を受け、大変な中での成人式でしたね。
世の中がどんな状況であれ、みなさんがこれまで無事に成長し、晴れて成人になることができたという事実は変わりありません。
本当に、おめでとうございます!!
教え子のみんな、本当に、おめでとう!!
今回は、この成人式に絡めたお話をさせていただきたいと思います。
みなさん、『2分の1成人式』ってご存知ですか?
少し前に学校界でブーム的なものがあり、今も行っている学校も存在している学校の行事的なものです。
小学校では、小学4年生が10歳を迎える年にあたり、これがちょうど20歳の2分の1。
成人式の2分の1の年齢まで無事に育ったことをお祝いする会が『2分の1成人式』です。
現在は縮小傾向です。
理由は、個々の家庭の実態や個人の負の過去などに配慮してのことのようです。
私ごとですが、気がつくと現在40歳。
成人式の年齢から2倍の年になっていました。
そんなこともあって、私の人生を形作ったこれまでの歴史を『私の履歴書』として幼少期を中心に簡単にまとめてみたいと、そんな気持ちになりました。
完全に私事ですがお付き合いいただけたらと思います。
私の履歴書① パペット
履歴の1つ目です。
記憶をさかのぼり、思い出せる出来事は幼稚園の時が古いものでは限界です。
私の履歴に刻まれているのは、『パペット』です。
写真のようにぬいぐるみに動作をつけて楽しむものです。
おままごと専用機?みたいなものです。
男のくせにこれにハマって‥幼稚園には5つくらいしかパペットがないので、母親に頼み込んで少し早く登園させてもらって、キープをしていたことを記憶しています。
それなのに、気がつくと女の子に取られていて、悲しい思いと次のことを学びました。
”女に逆らうと恐い”ということ。
私の履歴書② どんぐり頭
履歴の2つ目です。
小学校に上がりました。
思い出されるのは、2年生の時の話です。
休み時間に外で遊んで帰ってくると、下駄箱のところで、女の子から『どんぐり頭』と突然言われました。
当時の私は、母親に髪の毛を切ってもらっていました。
母は、決まって前髪をまっすぐに揃えて切りました。前髪だけでなく、横も後ろもまっすぐに。
よく言えば、若かりし頃のビートルズの誰かのような髪型です。
女の子にそう言われて次のことを学びました。
”髪型は大事、カッコよくあれ”と。
私の履歴書③ チャリ家族
続いて履歴の3つ目です。
物心がついた頃には、私の家には車がありませんでした。
父の病気の関係で、私が本当に幼い頃に事故を起こし、それ以来のっていなかったのだそうです。
よって我が家の移動手段は、自転車です。
どこかへ出かける時は、家族4人(兄がいます)で自転車で、というのが当たり前でした。
というか、そうするしかありませんでした。
買い物をしたらスーパーの袋をみんなで分け合って持ち、重さによって若干フラフラしながら自転車を運転して帰りました。
仕方ないとはわかっていても、正直、子ども心に不便さを感じていましたし、車がないことはコンプレックスでした。
恥ずかしくて、自分からは友達に言えないことでした。
ここで私が学んだこと、それは、”大きくなったら車を買う、しかもいい車を”です。
私の履歴書④ 引っ越し貧乏
続いて履歴の4つ目です。
我が家は持ち家がありませんでした。
ですので、当然家は賃貸です。
賃貸にもアパートやマンションや団地など、いろいろ種類がありますが、我が家の場合は1軒家の賃貸でした。
お世辞にも、きれいとは言えない、むしろボロい家でした。
そして、数年おきにサイズアップするために引っ越しをしました。
サイズはアップしていくのですが、相変わらずボロ家へ。
しかも前述のように車がなかったもので、リヤカーを借りてきて引っ越し。
それが可能な範囲での引っ越し、つまり近所から近所へが全てでした。
今考えると本当によくやったなと思います。
結局、私が高校2年生の時に晴れてマイホームを建てることができたのですが、兄は既に大学で外へ出てしまっていましたし、私も1年半後には大学で外に出ました。
コツコツと貯金し、現金一括払いでせっかく作ってくれたマイホームには4人で住むことができませんでした。
そんなことを繰り返していて、学びました。
”家はローンでもいいから子どもが小さいうちに買おう”と。
私の履歴書⑤ キムタク結婚
続いて履歴の5つ目です。
私が子どもの頃から元SMAPの木村拓哉さんは大人気で、その人気は群を抜いていました。
男ながらに私も木村拓哉さん、通称キムタクが大好きでした。
今も好きです。
そんな木村さんが、ある日突然結婚を発表したのです。
驚きました。
木村さんが27歳の時の出来事でした。
その頃の私は、ポッチャリした体型をしていました。
木村さんに憧れていながらポッチャリと。
このままではマズい、木村さんのように離れない、と危機感を覚えました。
その時、学びました。
”まずは痩せて、俺も27歳になったら結婚する”ということを。
総括
長くなってしまったので、この辺りで総括をします。
こうして自分自身の40年間を振り返った時に思うこと、それは
『コンプレックスが私をつくってきたということ』です。
私はその後、美容室でさまざまな髪型にチャレンジするし、おしゃれを意識する大人になりました。
自動車免許を取って、社会人になってすぐにローンでアメ車を買いました。
27歳で結婚して、子どもを2人授かり、30歳にして一戸建てのマイホームを建てました。
こう振り返ると、やはりコンプレックスが私をつくってきているのです。
私は大人だから、過ぎたことだからこのように話せるのだと思います。
2分の1成人式が辛いと感じる子どもたちは、私の幼少期と同じように心のどこかに寂しさや悔しさ、やるせなさを感じているかもしれません。
しかし、それもいずれ過去になり、その過去から学んで生きることで、過去を報いらせることができます。
だから、どうか今の自分の置かれている状況を受け入れつつ、自分を成長させるためにできることに全力で取り組んでください。
すべては、あなた次第でどうにでも変えられますよ!!
まとめ
さて、今回は、『2倍成人式〜私の履歴書〜 2分の1成人式に思うこと』というテーマでお話させていただきました。
40歳になった今、これまでの人生で最大の問題に直面していると自分では思っています。
しかし、こうして振り返ると、その時その時結構しんどい思いをしていたな、そしてそれらを乗り越えてきて今があるんだな、なんて思います。
すると、現在の問題ともしっかり対峙して、結果良い方向へと向かっていけるのではないかという気持ちになりました。
よって、みなさんにも、『2倍成人式』と称して、『自分の履歴書』をつくってみることをオススメします。
学校でも、みんなの前で発表することを求めず、10年間を振り返る機会をもたせても良いのではないかと思います。
あくまで本人のために。それが、幼い頃の写真を持ってこさせたり、発表前提で感謝の手紙を書かせたりするから傷つく子が出てしまうんですよね。
自分自身を振り返ること自体はいいことだと思いますので、大人も子どもも折に触れてやってみると良いと思います。
のりそらからは以上です!!
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