みなさん、こんにちは。
のりそらです。

私は、『教育に選択肢を、人生に革命を』を経営理念に、

教育目標を『明日も行きたくなる学校』すなわちNEXTAGE SCHOOLとした次世代の学校の運営をしています。
ここでは、教育に関わるテーマを1つ挙げて、それについての考えを共有しつつ問題提起を行っています。
さて、今回は、教師という職業を客観的に見ていこうと思います。
本日の内容:【教えて、のりそら先生 】実はこう見られている 世間から見た教師の姿

題して「【教えて、のりそら先生 】実はこう見られている 世間から見た教師の姿」といった内容でお届けします。
教師を辞めると、教師という職業について客観的な声を聞くことがあります。
特に、辞めたばかりの私には、その本音を話して頂く機会が多くあるのかもしれません。
今回は、私が見聞きした教師に向けられている客観的な目についてお話していきます。
今回このお話を聞くことで、教師という職業について客観的にとらえることができます。
長い間教師という職業に就き、客観的な目を失いつつある先生方、向上心をもって課題と向き合う気概のある先生方、教育に関心のあるすべての方々に向けてお話をしていきます。
どうぞお付き合いください。
それでは、いってみましょう!!
結論:案外肯定的

結論です。
結論は、”案外肯定的”だと言えると思います。
報道や現場での実感以上に肯定的な言葉を耳にします。
不思議です。
実際に教師として働いている時には、”教師の立場も地に落ちたな”と思えるような出来事がよく目に付きました。
ところが辞めてみるとそうでもない。
確実に辞めた現在の方が世間様は私に本音を話すでしょうに、意外なことに”案外”肯定的なんです。
すると”案外”が気になりますよね。
”案外”がつく訳は、”思っていたより”とか”否定的な声もあるよ”という意味になるかもしれません。
しかし、学校の先生方、これを聞き進めていただくことでそれほど悪い気はしないと思いますのでご安心下さい。
世間から見た教師の姿

世間から見た教師の姿として、私が見聞きした次の5つをご紹介します。
①特別な存在
②何でもできる
③キーマン
④守りに入っている
⑤忘れられない存在
この5つです。
1つ1つ見ていきます。
世間から見た教師の姿①特別な存在

まずは、”特別な存在”だということです。
現在小学1年生から中学3年生までの児童生徒と一緒に勉強をしています。
パソコンの勉強をしている時に、『担任の先生の名前をパソコンで入力してごらん』という声かけを行います。
すると、おそらく児童生徒はその先生の顔を思い浮かべながらお名前を入力していきます。
この声掛けをするだけで、その子がその先生に対してどんな印象をもっているかが容易に想像がつくのが怖いところではありますが、どの子にも思い浮かべる先生という存在があるということは実はすごいことだな、と思っています。
なぜ私がこのような言葉掛けをするのかと言うと、子どもたちにとって身近な存在であるからです。
他に人名で問いを立てるとしたら、『好きな芸能人を入力してごらん』といったものになるでしょう。
ということは、子どもたちにとって種類は違えど、”芸能人と並ぶくらいの場所に存在する子どもたちからの認識がある大人”と言えます。
これはとっても”特別な存在”です。
世間から見た教師の姿②何でもできる

続いては、”何でもできる”という印象をもってもらっているということです。
教師を辞めて新しい職に就くと、前職について尋ねられることが多くあります。
それが私にとっては教師となるわけですが、『教師でした』と話すと、『何でも教えられるってすごいですよね』という声をいただきます。
特に小学校の教師の経験もあることを話すとこういった言葉をもらうことが多くあります。
世間から教師は、『何でもできる』と思われているのです。
これは完全に肯定的な意見です。裏はありません。
どの教科も教えることができるなんて、なかなか教師以外の人にはできません。
先生の年齢を問わず、国語から体育まで教えることができる先生というのは『すごい』と思ってもらえているように感じました。
世間から見た教師の姿③キーマン

続いては、”キーマン”であるという印象もあるようです。
受験生にとっての担任の先生などはこの”キーマン”要素が顕著だと感じます。
自分が教師をしている頃は、学校の教師よりも塾の言うことを信頼しているから、学校の教師は軽んじられていると勝手に思っていました。
事実そういった家庭も少なくないのかもしれませんが、私が一緒に勉強している子のご家庭や仕事の絡みがあった方々の話によると、『先生がこう言っていた』と先生の言葉を胸に刻んでいる様子を感じました。
これについては、肯定的な意見も、否定的な意見もあります。
総じて言えることは、教師の言葉には、なかなかの重みがあるということです。
慎重に慎重に話したほうが良いなんて言いませんが、言葉を選び、適切に届くように伝えることは大事なことかな、と思います。
世間から見た教師の姿④守りに入っている

続いては、”守りに入っている”という印象もあるようです。
これは、否定的な意見と捉えます。
”守りに入っている”とは、波風が立たぬよう、穏便に穏便に事を済ませようとしているということです。
熱くないとも言えます。
”守りに入っている”その姿勢を歯がゆい思いで見ている方もいます。
もっと子どもとしっかりと向き合ってくれ、もっと課題を何とかするよう努力をしてくれ、そんな声です。
公務員だから、どんな働きをしても給料が同じだということは世間に周知の事実です。
だから余計に熱くならないで守りに入っている姿勢は否定的に映るのかもしれません。
逆を言えば、そういう立場なのに”攻めている人”つまり子どもたちと、課題としっかりと向き合っている先生に向けられる目はとても肯定的なものであるということです。
どちらが良いでしょうか?
世間から見た教師の姿⑤忘れられない存在

最後は、”忘れられない存在”であるというものです。
これは、私が教師を志した理由について尋ねられる場面で出会う印象です。
私は小学生時代に出会った素敵な先生の姿を見て、教職を志しました。
教師を志した理由としてそのような話をすると、たいていの人が、私の小学校の頃の、とか、中学時代の、高校時代の○○先生という先生が‥と話してくれます。
これは要するに、多くの人の心の中に残っている素晴らしい先生が世の中にはたくさんいるということだと思います。
そのような先生は、その人にとっての”忘れられない存在”であるということです。
とても嬉しいことですよね!!
結論:案外肯定的

あらためて結論です。
世間の目は”案外肯定的”です。
思っているほど悪くはありません。
そのため、やる気を落とすことなく、自信をもって突き進んでいただきたいです。
同時に、おごらず研究と修養、この基本を大事にしていっていただけると良いかと思います。
あら、また釈迦に説法を‥失礼しました。。

以上、今回の内容「【教えて、のりそら先生 】実はこう見られている 世間から見た教師の姿」でした。
まとめ

さて、今回は、「【教えて、のりそら先生 】実はこう見られている 世間から見た教師の姿」というお話をさせていただきました。
前回もお話したと思いますが、教師を辞めて新たな社会に出てみると、本当に新たな学びと発見の多さに驚きます。
先生方に社会として期待されていることがどんなことであり、マッチしているものは何で、どこにミスマッチが起こっているのかがわかるようになっているように思います。
これはとってもありがたい状況で、これをもとにした教育改革こそが私のこれからやるべきことと勝手に自負しています。
私のりそら、日本の、世界の学校の未来がより良いものとなるようこれからも発信していきます。
加えて、これまでのように先生方の日頃の頑張りを世の中に伝えていきたいと思います。
先生方は、どうか日本の子どもたちのために、目の前の子どもたちのために、真っ直ぐにエネルギーをお使いください。
私のできることはさせていただきます!!
のりそらからは以上です!!
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